フェルジナンド

フェルジナンドは、川口市の "スペインレストラン & バー" のお店です。

TEL.048-261-3828

〒333-0846 埼玉県川口市南前川2-4-13

フランシスコ・デ・ゴヤ闘牛連画のご案内

フェルジナンド特別企画
フランシスコ・デ・ゴヤ 『闘牛技』 連作版画集

フランシスコ・デ・ゴヤ 『闘牛技』 連作版画集のご案内

スペイン料理フェルジナンドオーナー所蔵の連作版画「闘牛技」見学出来ます。

フランシスコ・デ・ゴヤはスペインが生んだ近代絵画の巨匠であり、「近代絵画の父」と言われています。
ゴヤは絵画はもとより、版画の分野においても才能を見せています。
彼の版画は、彼の生きた時代の風刺、体制批判などの要素のほか、幻想的な表現も試みられており、彼の象徴主義、シュルレアリスムといった19世紀から20世紀にかけての芸術運動にも大きな影響を及ぼしています。
こうした傾向が最も顕著に現れているのが銅版画作品です。
中でも『気まぐれ』・『戦争の惨禍』・『妄』・『闘牛技』(ラ・タウロマキア)の4つの版画集は、四大連作版画集として高い評価を得ています。
ゴヤの闘牛に対する熱意と知識は、版画集「闘牛技」となって結実しました。
ゴヤ自身の言葉によると、この版画集は、「スペインにおける闘牛の発生から発展および現状を概観するもの」です。
版画集の1番から14番の内容は、闘牛の歴史をたどっています。
イスラムがスペインを支配していた時代の闘牛に始まり、歴史上の人物の闘牛の様子や、古来から伝わる闘牛の技が描かれます。
15番以降にはゴヤの同時代の名闘牛士たちの、伝説的な名場面の数々が描かれています。
美術館などでしか見る事の出来ない『闘牛技』(ラ・タウロマキア)連作版画(40枚)をフェルジナンド店内にて定期的に特別展示致します。(展示時期についてはお問合せ下さい)

ゴヤ肖像画
フランシスコ・デ・ゴヤ「裸のマハ」

フランシスコ・デ・ゴヤ「裸のマハ」

連作版画「闘牛技」

連作版画「闘牛技」

フランシスコ・デ・ゴヤ   略 歴

1746年
スペインのサラゴーサの南35キロ アラゴンの寒村、フェンデトースで鍍金師の家庭に生まれる。
1759年
ゴヤ家、サラゴーサに移住。
画家ホセ・ルサーン・マルティネスのアトリエに入る。ここでの4年間の版画の模写を通じて、デッサンの基本を学ぶ。1963年に修業を終える。
その後、王立美術アカデミーのコンクールや、その奨学金を申請するが、ことごとく落選。
バイェウの工房で働く。
1769年~
1971年
留学を決意。
フランスを経由し、イタリアへ赴く。
1771年
パルマのアカデミーのコンクールに出品し、評価される。
その後、サラゴーサへ帰国し、修道院や礼拝堂のための絵画を制作。エル・ピラール大聖堂の壁画に着手。結婚。
1776年
宮廷画家の地位を申告。
1779年
エル・パルド宮のタピストリーのための下絵を国王に献じる。
1780年
サン・フェルナンド王立美術アカデミーの会員となる。
1785年
サン・フェルナンド王立美術アカデミーの絵画部門副部長に。
1786年
カルロス3世の御用画家に任命される。
『田園風俗画』7点の他、『ポンテーホス伯爵夫人』を制作。名声が高まる。
1789年
宮廷画家に任命。カルロス4世および王妃マリア・ルイーサの公式肖像画を描く。
1793年
病は回復するが、聴覚を失う。
1795年
サン・フェルナンド王立美術アカデミーの絵画部長に。
1797年
版画集”夢”(後に『ロス・カプリチョス(気まぐれ)』に改題)の制作を開始する。首席宮廷画家となる。
1810年
ナポレオン美術館に送付する絵画を選択。
銅版画集「戦争の惨禍」に着手。
1814年
摂政府に「ヨーロッパの制圧者に対する我々の輝かしい蜂起の場面と特筆すべき英雄的行いを筆によって永遠化すること」を申し出る。
「1808年5月3日」を制作。
「裸のマハ」「着衣のマハ」が異端質問所に告発される。
1815年
銅版画集『闘牛技(ラ・タウロマキア)』の制作に着手。
1816年
銅版画集『闘牛技(ラ・タウロマキア)』発刊。
1819年
マドリード郊外に「聾者の家」を購入。黒い絵シリーズの制作を開始。
1821年
『黒い絵』および銅版画集『ロス・ブロベルビオス(妄)』の制作に専念する。
1824年
自由派に対する弾圧から逃れるため神父のもとへ身を隠す。
1828年
ボルドーにて死去。

※店内では40枚の連作版画集を入れ替えながら展示致します。

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